残念ながら、日本ではカウンセリングがまだまだ一般的ではありません。
大きなハードルの1つは”カウンセリングって実際に何をするのかわからない”ということなのではないでしょうか。
そこで、身近に感じていただけるように、私のカウンセリング体験をご紹介します。
カウンセリングで得られたもの
~”自分自身”と”人生”の課題への向き合い方~
私が受けたカウンセリングは、精神分析的療法と呼ばれるもの。
カウチに寝そべり、頭に浮かんできた考えや心の中で起こっていることをカウンセラーと一緒に考えていきます。
お読みの方にも同じような方がいらっしゃると思いますが、私は自分の感じたことを言葉に出すのがとても苦手。
幼少期より、人と感性や感覚が違うと認識しており、”わかってもらえない”さみしい思いをしてきました。そうした経験が積み重なり、いつしか”人の評価”や”ちょっとした失敗”に敏感になっていったのです。
それはカウンセリングの場面においても例外ではなく、カウチに寝そべり、いつも思い浮かぶのは
「これを言ったら変に思われるかな」
「こう言うとどんな風に思われるだろうか」
という評価のこと。
当時受けたカウンセリングは、その性質上
・カウンセラーとの応答的な関わりが少ない
・カウチに横になるので、すぐそこのカウンセラーの表情やしぐさが見えない
という独特の雰囲気であり、相手の反応が見えないので不安だけが募りました。
そうした不安もあってか、カウンセリング開始後、数カ月は20分ほど沈黙が続きました。そして、ようやく話せたと思っても、表面的で当たり障りのない出来事を話すだけの回が続きます。
しかし、カウンセラーは表面的な話しであっても否定も肯定もせずにうなづき、
「それはどんな感じ?」
と気持ちに焦点を当てやすいように話しを聞いてくれていました。その姿勢に、段々と安心感を覚え始め、素直に感じた気持ちを表現できるようになっていきます。
そうして1年が過ぎた頃、とうとう無意識に避けていた自分の問題と向き合う日が訪れました。専門用語では『直面化』と呼ばれるものです。
正直な感覚としては、自分の問題に向き合うのはとても辛く、動揺しました。
「突然どうしてそんなことを言うのだろう」
カウンセラーに対するネガティブな感情もわきおこりました。しかし、そうしたネガティブな感情を素直に表現しても、カウンセラーの態度は一貫しており、否定も肯定もせずにそばにいてくれました。その後、ゆっくり時間をかけて自分の気持ちを消化していくことになります。
その時点で、問題がすべて解決した、という訳ではありません。
とはいえ、自分の問題と向き合い、感情を消化していく過程を通して、自分との向き合い方を学び、そして周りの人との関わり方に余裕がもてるように。
私にとってカウンセラーは、数年かかっても解決した方がよい2つの課題を示してくれた存在です。
それは、”自分自身の問題”と”人生の課題”。
今でもカウンセリングで発見した人生の課題と向き合って生活をしていますが、年を重ねるごとに心がかるく、生きやすくなっています。
カウンセラーもカウンセリングを受けるの?
カウンセラーも一人の人間。
ときに人生に行き詰まり、人間関係に悩み、解決の糸口が見つからない時があります。
自分自身と向き合い、自己点検することも大事な仕事のうちなのです。
そのようなカウンセラーがカウンセリングを受けることを教育分析(訓練カウンセリング)と呼びます。みなさんが受けるものとそれほど違いはないのですが、専門家としての訓練的な意味合いを含んでいます。
期間と料金は ~どうぞお気軽に、の気持ちをこめて
精神分析的なカウンセリングは、週に1~数回、数年かけていくのがスタンダード。私のカウンセリングの期間も週に1回、約2年間かけて行われました。
はじめに週に1回と聞いて、頭をよぎったのは、お金のことでした。不本意ながら、臨床心理士は高学歴ワーキングプアの代表格。一般に家賃が収入の3割が妥当と言われている中、私のカウンセリング料金は、当時の収入の2割強を占めました……
金銭的な問題はあれど、悩んでいる方のお力になりたいと通いつづけました。精神的な健康度は高めだけれども、自分自身の性格の癖、今いる環境や人との関係によって、生きづらさをを抱えている方は多いためです。
忙しい現代人にとっては、金銭的、時間的な負担が大きいのも事実。しかし、お悩みの内容によっては、数回で効果が実感できることもあります。
予防医学、未病という発想は精神面に対してはアプローチしにくいものですが、だからこそ以下のような方へ、カウンセリングを通じて「カウンセリングを受けること」自体を気軽に、一般的にしたいと思います。
・精神的な問題を抱える方、(お子さま)のそばにいるご家族や職場の方
・夫婦やカップルとの関係でお悩みの方
そうぞお気軽にお問合せください。